必要無駄

気付いたら、もう、6月も後半。

何もしていなかったわけではなく、これから数ヶ月、今後への準備をしながら活動をしていこうと予定をたてながら動いておりました。
「なかなかブログが更新されないなぁ」
、、、とあきれているかたもいらっしゃるかと思いますが、少々、お待ちください。

7月にも、8月にも、新しいペンキ絵関連のお仕事があり、順を追ってお知らせさせて頂きます。
7月のお仕事については、、、来週明けに、お知らせいたします。


独立して動くことになった、今だからこそできることは何だろうと考えたりもしております。



そんな中、今週末、ペンキ絵に関するある試みをしてみようかと思います。
ごくごく、小さな試みです。
ある銭湯に、ペンキ絵を置いて頂けるか、お願いをしてみようと考えているのです。

知人に試みについて話をしたら、無駄ではないかと言われたのですが、やってみようと思います。
「無駄」という言葉に、何か惹かれるものがあるからかも知れません。

「無駄」という言葉は、私のペンキ絵観にも通じています。

銭湯のペンキ絵は、空気や水のように、「無ければ死んでしまう」という必須のものではありません。
実際に、ペンキ絵の無い銭湯も沢山あります。
言ってしまえば、「無駄」なものです。

けれど、「無駄」なものは、本当に無駄なのでしょうか。

例えば、試みに、どうしようもなく仕事が上手くいかない日の夜を想像してみましょう。
自分に絶望しながら、とっぷりと更けた夜の中、凝った肩を押さえて銭湯へと進み、重い身体から一日の汗のしみこんだ衣服を脱ぎ捨て、浴室に入った瞬間。
目の前に広がるのは、たかく、たかく、天井まで広がる明るい空。
そして、遠くでこちらを見守ってくれている、ゆったりとした富士山。
体を温かな湯気がつつみ、その湯気が、絵の中の雲へと重なり、自分も絵の中の世界に入ったような気持ちになります。
「この絵は、いつか観た風景のようだなぁ」と思い、少し昔話を思いだしたりして。
悠々としている富士山の前で、自分を反省しつつ、悩んでいたことが、だいぶ小さなことに思えてきます。
3分前の、夜の道での自分とは、全く違っているはずです。


無くても良い「無駄」なものだけれど、それがあるから生きていけるという、おぼろなものが、世の中にはあるように思います。

そして、その「無駄」は、時に、無駄だからこそ、かえって強く人を前に向かせることがあるように思います。
個人的に、勝手にそういった類の無駄を「必要無駄」と名づけているのですが、私にとってのペンキ絵は、この「必要無駄」の類です。

そんな絵に携わるお仕事ができるなんて、なんともありがたい状況です。




週末、小さな試みが成就するのか、、、
これは、また、後ほど、お知らせします。




今夜、どこかの町の遠くの銭湯で、一日の疲れを癒す人が、良い時間を過ごしていますように。

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